ぐんまのぴっち

8年目理学療法士。3年目まで回復期、4年目以降ずっと総合病院急性期勤務。

理学療法士の目標設定、plan立案について~1~

新人時代、自分の患者さんの介入をどのように決めるか、先輩がどんなふうに決めているかよくわからなかった。

 

恥ずかしい話、はじめの頃は、その方の疾患の介入が書かれている文献や先輩の代診を参考にその方にできるもので単位を取っていた。

一年目の8月頃に参加した研修会で大きく考え方が変わったため今日はそれを共有したい。

 

 

研修会は今はコンテンツの中に無くなってしまっているがリハテックリンクスさんが主催し石井慎一郎先生が講師を務めていた「理学療法におけるゴール設定と臨床展開-戦略的思考に基づくリハビリテーション」というもの。

 

それまで膝や体幹、各関節についてわかりやすく話してくださっていた研修に何度か参加していたが、その中で目標設定についても興味があれば話すよ、とおっしゃっていて、それに応える形で開催されていた。

 

正直、私にとって先生の研修は関節についてのものはなかなかマニアックでハマる人にはハマるが体系立って理解するということが難しいものが多いという印象だった。

 

しかし、この研修に関しては全ての理学療法士、さらにはリハビリに関わる全ての人が聞いておくべき共通認識を示してくださっているものだった。養成校の必修科目レベルと言ってもいい。今この研修を受講する方法がほぼないというのは業界全体にとって大きな損失とすら言える。

 

今回のテーマではそれについて共有していく。

 

そもそも現行の理学療法士教育では、どのように目標を立て、どのようにその日のplanを組むか、これに関する教育を私は受けたことがない。また、先輩、後輩、学生と幅広く話を聞いてみても、そんなものを学生時代のうちに受けた人は私の周りではいなかった。

実習で書く症例報告レベルになって初めて、短期目標、長期目標、最終目標が登場する。そうしていきなり出てきた「目標」というものに、とりあえずの現状から予想される「予後」をあてはめている現状がある。

 

 

これに対し、2000年の大川弥生先生は「誰にでもその人が幸せになれる人生の目標というものがある。それをはっきりと設定して、専門職と患者・被介護者本人と家族が力を合わせてそれを実現するのが本当のリハビリテーションであり、本当の介護だ」と述べている。

 

これに従うと、その方の最終目標というものは疾患に依らず初めから決まっている。

それは、「その方及び周囲の方が目指していた幸せな時間軸への復帰」ということになる。

 

その方の本来の人生の目標-ライフプラン-から逸れた分をいかに取り戻すかというところに主眼を置く必要がある。身体機能としては低下し、それに対し精神的にもダメージを受けているためライフプランから大きく外れている状況を、ゴールとのギャップを埋めていく。この作業をしていることをまず我々は認識しておかなくてはならない。

 

そのために何をするか。疾患について以上に大切なこと。それはその方及び周囲の方がどのような時間を過ごしたいと思っていたかを聞き、考える。

 

「歩きたい」と言うhopeがあったとして、歩いてどのような生活を送りたいかまで考える必要がある。

 

自分の身の回りのことで同居者や介護スタッフの手を煩わせたくない・煩わせるような姿だと思いたくない、そのために歩けるようになりたいという方。

仕事のため駅や職場、取引先への移動手段として歩く必要があると考えている方。

一人暮らしで家のなか、近くのスーパーまで移動する自由気ままな生活を続けたいと考えている方。

 

要は「歩けるようになりたい」というhopeには「これまでの人生の時間軸から大きくずれることなく、周囲の人と同様にかかわりたい」という思いが隠れていると言える。

家族がいる施設にいる仕事がある、こういった方では周囲の人とのかかわりという点がイメージしやすい。

だが、最後の方のようなお一人の場合でも、自由気ままに生活するという形で他者とかかわってきている。積極的にかかわるというわけではないが、かかわりを自分主体としてコントロールできている状態を続けたい、ということ。

 

どうしても「歩く」という手段を獲得できない方も存在するが、こうした「かかわり」に着目するとより現実的な介入を想定することができる。

 

 

また、表出に困難さを抱えている方、失語症意識障害、認知機能の低下をきたしている患者様についても、周囲とのかかわりに着目し目標を立てていくとどうなるか。

本人がどのようなことが嫌か、周囲はどのようなことに困っているか、病前のご本人、家族はどのような暮らしをしたかったか。

それらを考え可能な限りご本人、周囲の方にとって「安全かつ安楽、楽しい生活」を最終目標としていく。

本人・周囲にとって安全でなくては常に他者とのかかわりの中で本人の動きと周囲の干渉、もしくは転倒などの外傷リスクがせめぎあう生活となる。

だからといってただ安全に寝たきりであればよいか、身の回りのことだけできていればよいかというとそうでもない。人は今日より未来がよい日であるという希望を持って生きている。

こんな日々が続くようなら死んだほうがましだ、そう思ってしまうような生活ではその人の幸せからは程遠い。

寝たきりであってもせめて、苦しがっている吸引の回数を減らすための介入はないか、身の回りのことはできるがそのタイミングは本人が望んでいるタイミングか、そういった安楽かどうか、という視点を目標設定の段階で持っておくと、事前にこの機能は取り戻したい、こういったサービスが必要というような想定ができる。

自発的にhopeを表出できない方であってもこうした点を踏まえると、「これまでの人生の時間軸から大きくずれることなく、周囲の人と同様にかかわりたい」という人生の最終目標に近づける。

 

実際のその最終目標のための短期・長期目標、および日々のplanの立案について、次回は書いていこうと思う。

 

本日はこの最終目標の立て方についての共有とさせていただきたい。