ぐんまのぴっち

8年目理学療法士。3年目まで回復期、4年目以降ずっと総合病院急性期勤務。

目標設定について

リハビリの目標設定について、具体的に方法論を学ぶ、と言うことは少ない。

ケースにより、容易に目標が立つ方もいれば、目標からどうやって立てるか難渋する方、予後予測通りにはいかず設定した目標から大きく逸れる方、様々であり目標設定の方法論、という羅針盤の必要性を感じる。

そもそも、目標には、何種類かあるが、人生観的な、「基本的目標」と、疾患や性格に起因する「機能的目標」の2種類は認識しておくべきだろう。

 

基本的目標、とは、その人の人生において、いかに幸せに、QOLを高く生活できるか、というところに主眼を置いた目標だ。

対して、機能的目標とは、筋力やバランスをこのくらいまで上げて、このくらい歩ける様になる、といった身体機能の目標だ。

身体機能の目標は、予後予測と逸れたり、そもそも予後不良な場合に本人の希望と、身体機能の現実的目標が大きくズレてしまうことがある。

このズレを埋めるために必要なのが、基本的目標の設定能力だ。

 

基本的目標について話をする前に、そもそも、人は今日よりも明日の方が、未来の方が幸せになれる、と、どこかで思いながら生きていることから認識すべきだろう。

実際、生活していても変わらない日常だったり、嫌なことを言われたり、病気になったり、配偶者と死別したり、と、中々その通りにいかないことも多いが、どこかでなんとかなると思って生きている。

かくいう私も先程散々ズボンのポケットが空なことを確認してから洗濯しよう、と硬く誓っていたのに、ワイヤレスイヤホンを洗濯してしまい、かなり落ち込んだが、まあいっか、と気分を切り替えてこの記事を書いている。

実際、前にも洗濯しちゃったときにも無事だったし、最近はAmazonタイムセールなどで安くなっていることも多いし、有線のイヤホンもあるし、最悪イヤホンはなくてもそこまで困るものでもないし、という自分の幸せにおいて大きな脅威となる出来事でない、と予想もついている、ということである。

なので、この、まあいっか、というのも、そのうちなんとかなるだろう、という考えが根底にある。

 

よく言われるQOLともほぼ同義だが、QOLの高い人の方が生命予後が良いとするデータは根本にはこの考えがあると思われる。物質的に恵まれていても、うつ病などで幸せを感じるホルモンが減少した場合に有意に生命予後が低下することも、この、未来への希望の大切さを示していると考えれないだろうか。

これは人に限らず、例えば飼い犬なら大好きな飼い主と明日も穏やかに暮らせる、と思いながら次の日を迎えたり、野良猫なら明日こそお腹いっぱいご飯を食べたい、と思いながら次の日を迎えたりし、生き物は未来に対しなんとなく希望を持って生きているのではないかと思う。

 

人間の場合、複雑なことを考えられるだけに、病気になったりした場合に、機能からの想像で未来を悲観したり、日光を浴びたり運動が減るなどの物理的ストレスで幸せを感じにくくなったりと、わかりやすくQOLという形で生活を評価した場合に生命予後が見えやすくなるのではないか。

リハビリで患者さんとともに機能改善を図っていく場合も、機能だけでなく、どうすればこの患者さんや、そのご家族が未来に対し大きく不安を持たずに安定した生活を送れるだろうか、ということを考えて関わる必要がある。

未来に対する希望、QOLといっても、目標設定において、将来の夢、とか、趣味や仕事の再開、といった高い活動レベルである必要は必ずしもなく、いかに穏やかな気持ちで、本人や周囲が暮らせるか、といったところに主眼を置くと現実的だろう。

また、高齢で意識がほぼ無い方、認知機能の改善が見込めない方、疾患的に先は進行しか無い方などへも適応しやすい。

意識がほぼ無い方、の例で言えば、意識がない中でも褥瘡があって痛がっていたり、吸引が頻回に必要で苦しがっていたり、NーGチューブを無意識に引き抜くほどチューブを不快に感じていたり、といった、先の人生において幸せ度を下げる項目をいかに減らすか、と言うことを目標にする、という設定方法がこれに当てはまる。

この目標の達成を考えると、NSと協力してポジショニングや寝返り機能の再建であったり、STと協力して頚部、胸郭の柔軟性を向上させ、痰を貯溜させにくい機能の獲得を目指したり、といった評価、介入が必要だ、という様に具体的なやることが浮かんでくる。

 

また、認知機能が低下して徘徊してしまう患者さんを例にすると、徘徊して何が問題か、と言えばやはり転倒し受傷するリスク、さらに、周囲のスタッフが捜索し、本人にやめてくれと言い、本人と周囲の間で精神的ストレスを抱えるリスク、病院であれば、徘徊に対しスタッフの人員配置的問題もあり抑制を使用せざるを得なく、抑制帯により患者本人の幸せ度が下がる、などがある。

これに対しては、トイレに行きたいタイミングで徘徊する、朝一番で徘徊する、など徘徊の条件がわかっていれば、ある程度戻ってこられるルートを貼り紙や行ってほしく無い方向は扉を閉じておく、などの工夫であったり、転倒リスク軽減のためバランス練習や、掴まれるものを徘徊ルートに多く置いておく、などの環境設定が必要だ。

転倒リスク軽減のための機能練習のほか、病棟とも情報を共有しつつ徘徊からの問題行動、幸せ度を下げる因子を減らすための評価、介入が必要となる。

 

さらに、予後予測的に、歩行獲得に至らない可能性が高いが、歩行を本人家族が希望する場合、というのも多くある例だろう。

この場合、歩行獲得に足りない要因に対しアプローチする必要はあるが、それ以上に、歩行が獲得できなくても穏やかに暮らせる様な生活様式も想定した関わりも同時進行で進めておく、という対処が有用だ。

大腿骨頚部骨折の記事でも書いたが、患側機能の改善を図りつつも、健側と車椅子で病院内程度は自立して移動ができるようにしておくと、すぐには歩けなくても、しばらくは自分は車椅子で自由に動けるから大丈夫、となることがある。もちろん、そのまま自宅で車椅子、となると家屋の回収はとても大変だが、屋内は伝い歩き、外は車椅子、外も歩けるように退院後も訪問リハビリなどで歩行練習を続ける、などの生活を送れれば、本人家族も骨折前と大きく幸せ度が下がらず生活を続けられる。

 

進行性疾患に関しても、先々の進行はあるが、なるべく長く、穏やかに暮らすためにはその方、周囲は何が必要か、を進行前から確認し、それを続けられるようにする介入を早くから打って、進行しても一気に不幸のどん底に叩き落とされないように関わっていく、といった目標設定ができると良いだろう。

中々全てのケースでうまくいくわけではないし、特に進行性疾患の方なんかは難しいが、少なくともこうした基本的目標、と言うものを意識してから機能的目標を立てるか、そうでないか、には大きな違いがあるだろう。